soshiki--ex’s diary

コラムみたいな記事やみんなが気になることなど書いてます。

コロナ時代の大晦日

担当でございます。皆様、お疲れさまでございます。

 

今年も大晦日になりました。そして、新型コロナ災害の真っ只中であります。

思えば、初春からずっと、イベントや行事が次々に中止となり、年内で最も賑やかなクリスマスも、大変静かな、寂しいもので終わりました。先日ラジオ番組に長年ニューヨークに在住という方のレポートとして、「この30年で最も寂しいクリスマス」と話されていました。諸外国でも同じような状況のようです。むしろ、日本はまだマシかもしれません。

 

この新型コロナを「戦争」のように考える人もいるようですが、むしろ災害と捉えるほうが会っているのではないかと、この担当は感じます。いわば、過ぎ去ることのない台風や、おさまることがない地震のような。なので、常に「備え」が必要です。油断は禁物。来年も、当分の間は同じ対処と生活を余儀なくされることは確実でしょう。

 

なので、この状況で出来ることに専念する、可能な範囲で努力することが大切だと考えます。とりあえず担当は、「1日1冊、本を読む」を来年の目標にしました。「ゴミの片付け」とか「筋力アップ」なんて曖昧なものは、すぐにいい加減になるのは目に見えているからです。

 

とにかく、新型コロナというものは、気合や根性でなんとかなるものではないことは明らかです。「コロナに打ち勝つ」なんてのは、専門的な研究者でも難しいこと、まして、一般の生活者には不可能なことです。「この状況で、何が出来るか、どうしたらよりよい生活が出来るのか」を考えることが大切でしょう。この担当も、そのことをよく考えつつ、来年はより良い年にしたいと願っております。

 

皆様も、良いお年をお迎えください。再拝。

 

 

果報は寝て待て

「果報は寝て待て」ということわざがあります。江戸時代の元禄13年に刊行された『続狂言』という本の中に「果報は寝て待てということがある」という記載があるので、かなり古い時代に成立したものと思われます。

 

今日、一般的には果報とは良いこと、幸運という意味として理解されているようです。つまり、果報は寝て待てとは、幸運がやって来るのを寝て待っていればいい、というふうに理解することもいるようです。

 

そして、そういう感じに理解しては、このことわざを嫌う人もいます。

「寝ているだけで、幸運がやって来るものか。努力してこそ、幸運は訪れるものだ」

さらに、なかにはこんなことを言う者もいました。

「あのことわざは誤解されている。寝て待てではなく『練って待て』だ。つまり、よく考えて待つということだ」

本人は得意がっていましたが、もちろん、そんな解釈はありません。いろいろな書物や資料を調べましたが、何の根拠もないことです。まったくの間違い、デタラメです。こういう、頭の悪い輩が大した知識もなく思いつきのデタラメを並べることがあるので、時には要注意です。

 

なので、真面目にこのことわざを理解してみましょう。

 

果報というのはちょっと難しい言葉ですが、もとは仏教の言葉で、善悪の行為の結果を表した言葉とのことです。つまり、善いことをすれば幸運や良いことが、悪いことをすれば不幸や罰が身にやってくる、というものでありましょうか。

 

つまり、寝て待てといっても、何もしないわけではないようです。キチンと努力なり仕事をしたりして、その結果は「寝て待て」ということなわけです。

 

同じような意味の言葉として、「人事を尽くして天命を待つ」という句があります。中国の南宋時代に儒学者の胡寅によってまとめられた『読史管見』という書物が出典とされているようです。ほかにも、江戸時代の儒学者貝原益軒の著書などにも引用されているようです。

 

人事とは、簡単に言えば人のやるべきこと、天命という言葉は解釈が難しいですが、ここでは天が下す結果、判断といったところでしょう。やるべきことをすべて行って、努力を尽くしたならば、あとは結果を大人しく待つだけ、という意味になると思います。

 

要するに、果報は寝て待てにしろ、人事を尽くして天命を待つにしろ、何もしないでよいわけではありません。原因がなければ、結果はありません。でも、努力して工夫して、やるべきことをとことん尽くしたならば、その結果は得られる可能性があるというものです。それが、明日なのか、1ヶ月後なのか、1年後なのか、10年後か、それとももっと先なのか、それはわかりません。それこそ、天だけだご存知、ということなのでありましょう。

 

私的なことですが、2ヶ月ほど前、担当の奥様が道で転んで手の指を骨折してしまいました。骨折というのは厄介なもので、なかなか元通りにはなりません。現在ようやくリハビリという状態です。でも、焦っても仕方ないことです。じっくりと、治療するほかない。辛抱が必要な時も、長い人生にはあるということでございましょう。

 

 

 

 

変わっていく世界

ご無沙汰しております。担当でございます。

 

いや、ご無沙汰なんて申し上げたら、怒られるかも知れません。前回から、1年も立ってしまいましたから。

 

それにしても、日本はもとより、世界はとんでもないことになってしまいました。

思えば今年の1月、「今年はどんな年になるかな」なんて暢気に構えていたら、またたく間に新型コロナの流行。そして世界的な感染拡大、いわゆるパンデミックという事態に。パンデミックという言葉は知っておりましたが、まさか現実に起きるとはカケラも思っておりませんでした。

 

信じられないような光景も、次々に目にすることになりました。欧州での、墓地に棺桶が山のように積まれているという、映画のような画像も報道で見ました。そして日本でも、非常事態宣言。自粛営業や百貨店の土日休業、GWなのに各高速道路がガラガラ、新幹線も空席状態。その他いろいろ、思い出すとキリがありません。本当に、生きていると何が起きるか、どんなことを経験するかわかりません。

 

この担当も、仕事や生活にいろいろと変化がありました。でも、何とかこの身も、そして家族も健康であります。それでも、油断は禁物であります。日々、感染予防には注意している次第であります。

 

人間の歴史を眺めてみれば、激動の連続であります。そして、今私たちもその只中にあるということでしょう。

 

とりあえず、1年間ほったらかしにしていたことを反省しつつ、新型コロナの話題だけでなく、日々に気がついたことなどをネタに、記事の更新に努力していく次第でございます。

寒い日には「中華まん」

ご無沙汰しております。担当でございます。

 

寒い日が続きますね。とくに、夜半は本当に冷え込みます。

こう寒いと、温かいものがおいしいですね。麺類や鍋物、おでんなんかもいいですね。

それから、手軽に食べられるものもうれしいです。たとえば、「中華まん」ですね。コンビニで定番ですし、値段も100円ちょっとでとても手ごろです。

 

さて、コンビニの中華まんは担当が10代の頃からあるのですが、当時から疑問に感じていたことがありました。

 

「あんまんや肉まんは、確かに納得だ。でも、ピザまんやカレーまんがどうして『中華まん』なのだ」

 

念のため申し上げますが、担当はコンビニの中華まんが嫌いなのではありません。それどころか、大好きです。でも、おいしいと思って食べながら、「あれ?」と思ったりするわけです。「カレーとかピザとかだから、中華じゃないだろ」って。

 

そんなコトを、40年以上、ずっと考えていました。

 

でも、「中華まん」でいいわけです。

 

要するに、ふっくらした生地の中に具の入ったおまんじゅうは、「中華まん」でいいわけなんですね。カレー風味だろうが、チーズとトマトソース仕立てだろうが、関係ないわけです。

 

同じようなものが「カツ丼」でしょう。カツレツは欧州の料理ですが、それを食べやすく切ってネギと一緒に出汁やしょう油、砂糖などで煮て、卵でとじてどんぶりのご飯に載せたら、カツ丼という和食です。「コートレットはフランスのものだ。では、カツ丼は和食か、フレンチか」なんていう人はいません。

 

というわけで、中身の具が何であれ、中華まんなのですね。担当は、50歳過ぎてやっとその事に気がつきました。本当に恥ずかしいです。

 

さて、コンビニの中華まんですが、そのままでも美味しいですが、ちょっとアレンジするのも楽しいです。担当がいつもさせていただくのは、ひと味つけたしですね。肉まんに、お酢を少したらしたり、ケチャップをほんの少しつけたり、なんて感じです。

 

 

なぜ「かわいい子には旅」なのか

毎日、暑い日が続きますね。皆様はいかがお過ごしでしょうか。担当は、いつもながらの仕事の日々であります。作業そのものは嫌いではないのですが、やはり暑さには困ります。

 

さて、来週は世間的にはお盆休みが始まります。学校の生徒や学生の皆さんは夏休みですし、お休み真っ盛りというところです。

 

お休みといえば、旅行に出かける方も多いことでしょう。

 

旅行というと、「かわいい子には旅をさせろ」ということわざがあります。その意味は、大切な子が正しくたくましく成長するように、旅をさせることで世間の辛さや苦労を経験させるのが有益だ、というような感じです。徒歩移動が基本だった時代には、旅は大人でも危険や困難が伴う行動だったわけです。その旅をわが子にさせるべきというのですから、なかなか思い切ったことわざだと思います。

 

さて、気になるのは「辛さ」とか「苦労」というのは、具体的には何なんでしょうか、ということであります。

 

その辛さとかについて、「心が鍛えられる」という人が少なからずいます。辛さや苦労によって、物事に打ち勝つ強い心が作られるのだと。

 

でも、担当はあえて申し上げます。心なんて、鍛えられるものではありません。鍛えられるのは、筋肉くらいのものです。

 

辛く苦しい体験をしたからといって、強い心に育つなんてありません。苦しい体験は、ストレスがたまってその人を委縮させるだけです。もし「強くなった」というようなことがあったなら、それはただの「きっかけ」に過ぎません。56年間生きてきた、この担当が自信を持って申し上げます。心は、強くなんてなりません。人の心は、もともととても強いものです。「あいつを鍛えてやった」なんて思っている人は、とんでもない勘違いです。

 

それでも担当は、「かわいい子には旅をさせろ」ということわざは、とても価値があると思います。

 

担当が考えるに、旅の利点とは「経験」だと思います。

 

旅をするには、いろいろな経験をしなくてはなりません。まず、旅の準備の段階で、いろいろなことを調べなくてはなりません。そして、いざ旅に出てみると、あらゆる場面に出会うはずです。その場でどう対処すればいいのかは、経験しないとわかりません。たとえば、乗り物のチケットの買い方や、ホテルの予約や利用の仕方などですね。小さなことを言えば、外食の仕方だって、始めはわからないものです。とても簡単なことでも、最初は誰でもわからない。それを、経験することで身につけていくのです。

 

よく「そんなことは、自然と身につくものだ」なんて言う人がいます。担当は、そうではないと思います。自然に身についているように感じられるけれど、実際には、教えられたり経験したりして、学習して覚えているものです。そういう機会がなければ、身につくことはないでしょう。

 

かく言う担当が、そういう人間でした。何事にも消極的で、他人と話すことすら苦手だった担当は、若い頃は本当に、何もできない、何も知らない半端な奴でした。「こんなことも知らないのか、できないのか」とさんざん笑われました。それで、自分でいろいろ調べ、いろいろなところに出かけるなどして、何とかある程度のことはできるようになったという次第です。

 

そんな担当ですので、経験の大切さはとてもよくわかっています。別に、危険なことをするとか、特別なことをやってみるというのではありません。自分の目で見て、自分でやってみる、それだけのことです。それが自分の人生や生活を、とても豊かにするものだということです。できそこないだった、まあ今でもダメな担当ですが、そのように思うのであります。

 

 

 

 

今年の梅雨は

ご無沙汰しております。担当でございます。

 

毎日、雨続きであります。今年の梅雨は、本当に雨がよく降りますね。関東地方では、記録的に日照時間が少ないそうです。確かに、お日様をほとんど見ていない気がします。先日、外を歩いていたところ、久しぶりにほんの一瞬、日の光が差しました。担当は思わず「おおっ」と声を上げてしまいました。

 

さて、この「梅雨」という言葉は、かなり昔から使われていたそうです。古くは、中国の唐王朝の第2代皇帝、太宗(李世民)の詩に登場します。日本では室町時代に成立したとされる国語辞典『運歩色葉集』や、江戸時代にまとめられた『重鐫日本歳時記』といった書物に載っています。

 

なぜ梅雨というのかは、梅の実がなる時期に降る雨という意味が一般的のようです。

 

梅の実といえば、担当がすぐに連想するのは梅酒です。

 

梅酒というと、焼酎甲類、いわゆるホワイトリカーで作るのが一般的のようですが、食品に関する古い文献、たとえば江戸時代にまとめられた『本朝食鑑』などをみると、日本酒で作ると書かれています。

 

以前、担当は日本酒で梅酒を作ったことがあります。

 

作り方はホワイトリカーの場合とまったく同じで、専用の広口ビンに、よく洗った青梅と氷砂糖を入れて、日本酒を注いで漬け込むだけです。お好みですが、日本酒には甘みがありますので、氷砂糖はやや少なめにしたほうがいいかもしれません。

 

ただし、普通のアルコール度数が13度から14度くらいの日本酒を使うと、酒税法に引っかかる可能性があると何かの資料で読んだことがあります。アルコール度数が20度以上のお酒を使わなくてはならないそうです。

 

そこで担当は、原酒と呼ばれる度数が20度くらいの日本酒を使いました。これなら法律的にOKだそうです。

 

そして、出来上がった日本酒仕様の梅酒ですが、これがとてもおいしい。甘みと酸味が程よく溶け合って、とてもまろやかです。ホワイトリカー使用のものよりも、担当は断然お勧めであります。

 

ちなみに、原酒の日本酒は、普通の日本酒よりもやや値段が高めです。担当は後で知ったのですが、梅酒用のアルコール20度以上の、梅酒用の日本酒もいくつも販売されているようです。

 

おつかれさまです

元号が平成から令和になりましたが、皆様、いかがお過ごしでしょうか。ちなみに、担当はほとんど仕事でした。この不景気な世の中、仕事があることはとても嬉しいことです。ありがたい、ありがたい。

 

今年のゴールデンウィークは、滅多にない10連休と、「令和フィーバー」なんていうお祭り気分だったようですね。お楽しみになった方も、多いことでしょう。

 

この令和について、いろいろな意見があるようです。「めでたい、めでたい」と喜んでいた方や、「何がめでたいものか」と反感を持っていた方、あるいは「ただの年号でしょ。関係ないよ」と関心のない方、さまざまのようです。

 

こういうものは、どれが正しいとか、間違っているかというのはないと思います。人それぞれ、自分の思うままでよいと思います。ただし、他人に強いいるのはよくないでしょう。関心のない人に「一緒に祝え」と無理に誘ったり、「お祝いなんかやめろ」と宴会の席に乱入したり、そういうのはよくないですね。まあ、そこまでやるような人は、いなかったでしょうが。

 

自分が主張するなら、相手の主張も認める。それが常識だと思います。