soshiki--ex’s diary

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「昔のものを復元」というファンタジー

先月、ある新聞の日曜版か何かで、昔の食事を再現する企画が載っていました。昔の資料を基に、有名な料理人さんがその料理を再現するという、まあしばしば見かける企画です。

 

出来上がった料理が、鮮やかな写真で紹介されていました。とてもおいしそうです。

 

そのなかに、「酥」というものがありました。クッキーのような色をした、キューブ状のおいしそうな塊です。ひと目見て、担当は思いました。「また、やらかしましたね」と。

 

酥とは、牛乳を煮詰めて造ったもので、昔から高級乳製品として高貴な身分の人たちに珍重されてきたと伝えられます。古いものでは、仏教経典『涅槃経』に酥についてたの記述があり、とてもおいしく、健康によいものと説明されています。

 

この酥ですが、諸説あるものの、やはり乳製品である「蘇」と同じというのが有力な説となっています。同じく牛乳を煮詰めたもので、朝廷に献上されたことがあると伝えられていますから、やはり最高級の食べ物です。

 

蘇についてはいくつも資料が確認されています。古くは平城京跡の遺跡から発掘された木簡に「近江国生蘇三合」と読める記述があることから、すでに奈良時代には蘇が知られていた可能性があります。また、平安時代の政務についてまとめた資料『政事要略』(成立年不詳)に「遣使造蘇」という記述があります。わざわざ使者を派遣して蘇を作らせたというのですから、やはり高級品だったのでしょう。

 

その蘇の作り方ですが、よく知られているのが『延喜式』の「乳大一斗煎、得蘇大一升」という記載です。要するに、牛乳を煮詰めると10分の1の蘇ができる、という説明手です。テレビや雑誌などでみかけるだいたいの復元企画は、これをそのまま鵜呑みにしているものがほとんどのようです。

 

ところが、実際にやってみるとわかりますが、牛乳をいくら煮詰めても10分の1にはなりません。これは、西日本食文化研究会を主宰する和仁皓明先生も指摘しています。また、和仁先生がさらに言及されていますが、当時の鍋は素焼きの土鍋です。牛乳を煮詰めたりしたら、たちまち焦げ付いてしまいます。蘇を作るどころではありません。

 

キャンプなどで自炊した事のある人ならわかるでしょうが、薪などを燃やして煮炊きをする場合、温度調節なんて大変大雑把です。ただですら焦げ付きやすい牛乳を、焦げないように煮詰めて固めるなんて、無理だということがすぐわかります。復元企画「酥」は、焦げ付きにくいステンレスなどの鍋で、微妙な火加減も可能なガスコンロかIH調理器か何かを使って作り上げたのでしょう。間違いありません。

 

では、蘇というものはどうやって作ったのかということについては、中国で紀元500年代半ば頃に成立したとされる『斉民要術』という書物に2つの作り方が載っています。そのひとつが、牛乳を煮立ててその表面に出来た膜をすくい上げる、というやり方です。そう、日本でもおなじみの湯葉と同じやり方です。これなら『延喜式』の記載とも、ほぼ計算が合います。そして何より、簡単に出来ます。

 

担当がこのやり方を本で読んだのが、もう25年以上前です。そして、何度も実際にやってみました。ただし、ステンレス鍋とガスコンロで、ですが。でも、細かい火の微調節など不要でした。ぐつぐつ煮立つ牛乳の表面に出来る膜を、箸で次々にすくって集めるだけ。ただし、ステンレス鍋でも、焦げないですが牛乳の成分がかなりこびりつきます。後で洗うときが、かなり大変でした。

 

だいたい20分から30分くらいで、ティーカップ半分くらいの蘇ができました。なかなかおいしいです。お好みで、ジャムやハチミツをたらしてもおいしいと思います。