soshiki--ex’s diary

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ライチはお好き?

ライチという果物は、日本でもすっかりポピュラーになりましたね。スーパーなどで手軽に買えますし、ブッフェレストランのデザートコーナーでよく見かけます。

 

担当がはじめてライチを食べたのは、高校生の時でした。当時は生のライチなんて売っていません。ほぼ100%、シロップ漬けの缶詰でした。

 

このライチ、中国・唐の時代の美女として有名な、楊貴妃が好んだというエピソードで知られています。

 

楊貴妃は時の皇帝、玄宗の寵愛を受けた女性。貴妃とは尊称で、本名は楊玉環、なんていうお話は、興味のある方は歴史の資料などでお楽しみください。

 

その楊貴妃が住んでいた都の長安から、ライチの産地である福建省の華南まではかなりの距離があります。ネット等の一部資料には「数千里」などとかかれているモノもあって驚いたり混乱したりしてしまいますが、実際にはだいたい600キロメートルくらいのようです。地形等が違うので参考程度ですが、直線距離でいうとだいたい東京から岡山あたり、または広島の少し手前くらいの距離です。

 

そしてライチは、とても痛みやすい果物です。摘み取ってから「一日で色が変わり、二日目には味が変わり、三日経つともう食べられない」などと言われたそうです。そのため、ネット等には「玄宗が命じて早馬で運ばせた」などと紹介されていますね。

 

でも、担当は高校の時、先輩からもっと詳しく教えてもらいました。つまり、「玄宗皇帝は、ライチ確保のために軍隊を派遣した」と。

 

高校生だった担当は「何で軍隊なんですか~」とバカみたいに質問しました。すると、呆れながら、先輩は説明してくれました。

 

当時は輸送手段は限られていました。貨物列車も冷凍トラックもありません。整備された高速道路なんてどこにもない時代です。最も早く移動できる機動力を持っているのは、軍隊でした。悪路でも何でも突き進むことの出来る能力があったのも、軍隊だったわけです。ライチの傷みやすさを考えると、かなりの量を持ち帰る必要もあったでしょう。当時はクロネコヤマトも佐川急便もありません。多量のライチを運搬できる輸送力があるのは、やっぱり軍隊だけです。

 

というわけで、実際にライチを取りに行ったのは軍隊だった、というのが先輩の説明でした。

 

ちなみに、高校時代の担当が食べていたライチの缶詰も、その辺のスーパーでは売っていませんでした。担当の場合、たまに遊びに行っていた横浜の中華街でお土産に買うのがパターンでした。

 

当時の横浜中華街と言うと、まだコアな専門街という雰囲気でした。地元では南京町などと呼ぶ人もいました。観光エリアというイメージはなくて、日曜日などは閉まっているお店が多く、現在では行列が出来る人気の飲食店などもガラガラでした。現在の、休日などには観光客でごった返す中華街を見て、時代も変わったなあとつくづく思う担当であります。