soshiki--ex’s diary

コラムみたいな記事やみんなが気になることなど書いてます。

池袋の事故について

週末の金曜日に、たいへん痛ましい事故のニュースが飛び込んできました。

 

19日午後12時30分頃、東京・池袋で87歳男性が運転する乗用車が、道路を青信号で横断中の男性をはねた後、そのまま直進、赤信号を無視して交差点に突入、横断中の歩行者を跳ね飛ばしてからごみ収集車に追突した。その際にも歩行者を巻き込んだ。この事故で、31歳の女性とその3歳の娘さんが死亡。7人が重軽傷を負った。(まとめ・担当)

 

亡くなられたお母さんと女の子には、本当に言葉もありません。担当も、クルマを運転する者として、そして家族がいる者として、さらに気を引き締め、自分自身に安全を言い聞かせたいと思います。

 

街を眺めていると、相変わらず「歩きスマホ」をしている方はとても多いようです。そして、スマホを見たまま、道路を横断する人もよく見かけます。

 

でも、歩きスマホばかりではありません。これもよく見かけるのですが、左右の安全をまったく確認せずに、そのままスーッと道路を横断する人。そういうケースが、非常な多い。担当も、クルマを運転していて、急に道路に出てきた人に驚いて、あわててブレーキをかけたことが何度もあります。

 

どうしてそういう人が多いのか、担当にはよくわかりません。ただ、出来ることなら、立ち止まって左右を見て確認することは、必ずしていただきたいと思います。

 

死んでしまったら、おしまいなのです。「スピードを緩めないお前が悪い」などと言っても、死んだらどうにもなりません。

 

今回の池袋の事故は、乗用車は信号無視の上に猛スピードで突っ込んできたとのことですので、とても避けられないものだったことでしょう。でも、世間で起きている交通事故の中には、避けることが出来た、大事に至らずに済んだ、そういうケースが多くあると思います。

 

「自分の身は自分で守れ」などというと、なんとも窮屈でギスギスした感じがありますが、現実には危険がすぐ隣にあるような状況です。繰り返しますが、しんでしまったらおしまいなのです。そのことを、担当は痛いほど理解しています。

 

担当は、青信号で横断歩道を渡るときですら、左右を視差呼称、いわゆる指差し確認しています。知人は「臆病者」と言って笑います。でも、臆病者でも生きているほうがいいと、担当は思っております。

選挙のたびに思うこと

本日は統一地方選挙の投票日です。担当は、これから行こうと思っています。

 

選挙のたびに思うことは、いつも同じです。

「誰に入れていいのかわからない」であります。

 

担当の家では、何年か前から新聞を取るのをやめてしまっているので、候補者がどんな主張をしているのか、どんな考えの人なのかがまったくわかりません。駅前などでじっくり演説を聞いているヒマもありません。パンフやチラシを配っている候補者も見かけますが、すべての候補者の一部でしかありません。街中にあるポスターを眺めても、詳しいことまでは書いてありません。

 

相模原市のホームページを見ると、候補者一覧のリストが出てきます。そこに個人や事務所のサイトのアドレスが載っていたりしますが、全部が閲覧できるとは限りません。アクセスしても、サイトがなかったり、更新中だったり、あるいは閉鎖されていたりして、やっぱり候補者がどんな人なのか、よくわかりません。

 

選挙の時くらい、「候補者の主張・政策一覧」なんていうサイトを作ってもらうということは出来ないのでしょうか。

 

しかたなく、担当はいろいろなサイトを調べて、何とか自分が投票したいと思う候補者を決めました。

 

「選挙に行こう」という掛け声も結構なのですが、もっと「この人に入れたい」「選挙に行きたくなる」という気持ちになるようなツールをもっと工夫してもらいたいと、切に感じるわけであります。

上杉鷹山「為せば成る~」について

上杉鷹山というのは、江戸時代中期の大名です(1751~1822)。米沢藩の第9代藩主で、名君として知られています。

 

鷹山のことは知らなくても、「為せば成る、為さねば成らぬ何事も」というフレーズなら、聞いたことのある人が多いのではないでしょうか。

 

このフレーズ、正しくは「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」という短歌です。藩主である鷹山が、家臣への教訓として作ったといわれています。また、その元ネタは、甲州の戦国武将・武田信玄が詠んだ短歌「為せば成る、為さねば成らぬ。成る業を成らぬと捨つる人の儚さ」ではないかとも言われています。

 

さてこの「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」ですが、よくこんな風に解釈されているようです。

「やる気があればなんでも実現できる。できないのはやる気がないからだ」

 

この解釈は、担当はずっと以前から違和感を抱いていました。

 

まず、どんなにやる気があっても、どんなに努力しても、できないものは出来ません。「人間は鳥みたいに飛べない」なんていう、つまらないたとえを出すつもりはありません。優秀で誠実な人が、努力に努力を重ねて、ものすごく慎重に行動したとしても、失敗したり、実現できないということはたくさんあります。

 

それから、ヘンな根性論をつけてこのフレーズを使う者がしばしばいるので、それが非常に嫌いでした。「為せば成る、というだろう。できないのはお前にやる気がないからだ!」そんな風に怒鳴り散らす、脳みそが筋肉で出来たような連中がいて、それが本当に大嫌いでした。

 

でも、担当も40代50代と年を取ってから改めてこの歌を読み返してみると、そんな体育会系バリバリの内容ではないようだと思うようになりました。

 

まず、「為せば成る」という言葉ですが、そのまま現代語にすると「やればできる」です。これは、そのままの意味でよいのではないでしょうか。「やる気」とか「何でも」なんていう装飾語は、どこにもありません。

 

では、「やればできる」とはどんなことでしょうか。

 

たとえば、部屋の中にいるとします。「歩いて外に出る」というのは、とても簡単なことです。赤ちゃんやお年寄り、身体の不自由な方などでなければ、誰にでも出来ることです。玄関まで行って、ドアを開けて外に出るだけですから。

 

しかし、やらなければ、実際に行動しなければ、絶対に外には出られません。死ぬまでずっと部屋の中です。簡単なことでも、実際にやらなければ実現しない。「為せば成る」とは、そして、「為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」とは、そういう意味なのではないかと思います。

 

学校や職場などでは、いろいろな「為す」ことがとてもたくさんあります。日常の勉強や仕事、そのほかにも、やるべきこと、やったほうがいいことなど、非常に多くの事があります。

 

ところが、「やりたくない」とか「やっても無駄」、「できるわけがない」などと言いだす人が必ずいます。大きなリスクを負うわけでもない、たくさんのお金がかかるわけでもない、実現不可能というわけでもない、重い責任が発生するわけでもない、それなのに「やらない」という態度の人がいるものです。時には「責任はこちらが取る」とか「お金は全部こっちが払う」と言っているのに、それでもあれこれ理屈をつけて反対する人がいたりします。

 

どんな計画や発想も、始めてみなければわかりません。たしかに、物事は失敗がつき物です。でも、やってみたら意外と簡単だったとか、予想以上の効果が出たということもよくあります。

 

実行してみれば、可能性が開く。でも、何もしなければゼロのまま。鷹山君の言葉は、そういうことを言いたかったのではないかと、担当は思う次第なのであります。

 

 

 

YouTuberメグウィンさんに思うこと

はい!どうもとっすです。

今回は古参YouTuberメグウィンさんに対して思うことです。
最近幾度となくYouTubeを騒がせたメグウィンさん
数日前に出した動画がまた話題になっています

40分以上による長い動画で経緯の説明や、謝罪をしています。
これについて思うことなんですが、
今回の騒動
メグウィンさんやファルコン、メテオさん当人でなければ真実はわからないなので
こんなことをした、こんなことをされたの
事実関係はもはや正確にはわからないと
思うのです。

我々部外者はそれを野次馬根性で見て
楽しんでるだけなのですから

メグウィンがひどいやつだー
ファルコンメテオが嘘つきだー

なんて言っても何の意味もなければ
新しい情報に左右され手のひら返しをする
単純な立ち位置にいるわけです。

それがいいとも悪いとも思いませんが
少なくとも僕は当事者や、関係者でないなら
コメンテーター気取りであやふやな情報から感想を述べるのは頭の悪い行為だと思います。

これを踏まえて
僕がメグウィンさんに思うことは

僕は
メグウィンさん
ファルコンさん
メテオさん のいざこざはどうでもいいですし
面白い動画が見れるなら何があってもいいんじゃない?ってくらい無関心です。

ですが
メグウィンさんの社長としての振る舞いは
思うところがあります!

メグウィンさんは会社組織のトップとして
部下の教育を間違えてしまったのかなと思います
大抵のスタッフはメグウィンさんを好きでMEGWINTV に入社しますよね?

それが退社前後で経緯は明らかではありませんが
トラブルとなり騒動まで発展しました

会社組織のトップとして部下を教育するのは仕事の一部であり、教育出来なかったならばそれはある意味教育者の仕事の失敗を意味します

謝罪動画では触れられませんでしたが
再発防止策や、自信の未熟さにも触れた方が
(弱味を出した方が親しみやすい的な意味合いで)
より理解されたのではないかと思いました。

メグウィンさんファルコンさんメテオさんは今回の騒動をバネにして面白い動画を作成していただけたらなと応援する限りです。

イラストレーターさん紹介

以前よりイラストを提供していただいている方は
ぷっぷくぷーぽっぽー商会さんという方です、
今回ご挨拶代わりに間違い探しのイラストを描いて貰いましたのでよろしければお楽しみください。
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間違いが8箇所あります。
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答えは下に

















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ライチはお好き?

ライチという果物は、日本でもすっかりポピュラーになりましたね。スーパーなどで手軽に買えますし、ブッフェレストランのデザートコーナーでよく見かけます。

 

担当がはじめてライチを食べたのは、高校生の時でした。当時は生のライチなんて売っていません。ほぼ100%、シロップ漬けの缶詰でした。

 

このライチ、中国・唐の時代の美女として有名な、楊貴妃が好んだというエピソードで知られています。

 

楊貴妃は時の皇帝、玄宗の寵愛を受けた女性。貴妃とは尊称で、本名は楊玉環、なんていうお話は、興味のある方は歴史の資料などでお楽しみください。

 

その楊貴妃が住んでいた都の長安から、ライチの産地である福建省の華南まではかなりの距離があります。ネット等の一部資料には「数千里」などとかかれているモノもあって驚いたり混乱したりしてしまいますが、実際にはだいたい600キロメートルくらいのようです。地形等が違うので参考程度ですが、直線距離でいうとだいたい東京から岡山あたり、または広島の少し手前くらいの距離です。

 

そしてライチは、とても痛みやすい果物です。摘み取ってから「一日で色が変わり、二日目には味が変わり、三日経つともう食べられない」などと言われたそうです。そのため、ネット等には「玄宗が命じて早馬で運ばせた」などと紹介されていますね。

 

でも、担当は高校の時、先輩からもっと詳しく教えてもらいました。つまり、「玄宗皇帝は、ライチ確保のために軍隊を派遣した」と。

 

高校生だった担当は「何で軍隊なんですか~」とバカみたいに質問しました。すると、呆れながら、先輩は説明してくれました。

 

当時は輸送手段は限られていました。貨物列車も冷凍トラックもありません。整備された高速道路なんてどこにもない時代です。最も早く移動できる機動力を持っているのは、軍隊でした。悪路でも何でも突き進むことの出来る能力があったのも、軍隊だったわけです。ライチの傷みやすさを考えると、かなりの量を持ち帰る必要もあったでしょう。当時はクロネコヤマトも佐川急便もありません。多量のライチを運搬できる輸送力があるのは、やっぱり軍隊だけです。

 

というわけで、実際にライチを取りに行ったのは軍隊だった、というのが先輩の説明でした。

 

ちなみに、高校時代の担当が食べていたライチの缶詰も、その辺のスーパーでは売っていませんでした。担当の場合、たまに遊びに行っていた横浜の中華街でお土産に買うのがパターンでした。

 

当時の横浜中華街と言うと、まだコアな専門街という雰囲気でした。地元では南京町などと呼ぶ人もいました。観光エリアというイメージはなくて、日曜日などは閉まっているお店が多く、現在では行列が出来る人気の飲食店などもガラガラでした。現在の、休日などには観光客でごった返す中華街を見て、時代も変わったなあとつくづく思う担当であります。

 

 

巨大なものは

文学作品の一節かなにかだったと思うのですが、かなり以前に、「巨大なものは、すべて悪である」というフレーズを読んだことがあります。

 

悪かどうかはわかりませんが、大きなものには、恐ろしさや威圧感を覚えます。象などの大きな動物や、工事現場などで見かける重機といった大きなものは、威圧感だけでなく実際にとても危険です。

 

大きなものについては、担当は「面倒」とか「ややこしい」というイメージがあります。たとえば、何かの用事でコンタクトをとるような場合に、個人や小さな組織などであれば、電話やメール、簡単な手紙といったもののやり取りだけで済むことがほとんどです。

 

ところが、これが大きな会社や団体、官公庁などになると、なかなかわずらわしい。最初は電話などで連絡するのですが、たいてい「では、書面を送ってください」ということになります。そこで、依頼書とか企画書とかを郵便で送って、それが届いた頃に改めて電話して、そして会ってもらえるか、OKなら訪問する日時とかを決めるわけです。

 

もっと身近に、お役所というやつも、大きいよりも小さいほうがいいと思います。担当は神奈川県の相模原市というところに住んでいますが、最も大きな相模原市役所にはめったに行きません。行くとしても、資料室で調べ物をするような場合たけです。窓口なんて使ったら、とても時間がかかります。1時間以上待つなんてザラです。しかも、忙しいからでしょうか、窓口の職員さんがキツイ対応のことがあります。以前、年金課のお姉さんに書類の記入についてお聞きしただけで、ものすごい形相で睨みつけられたことがあります。思い出しても、身が縮みます。こわい、こわい。

 

でも、市内にいくつもある事務所や出張所などは、担当がよく利用するのは城山総合事務所ですが、住民票などの書類発行やその他の手続きなども、てもスムーズです。長年利用させていただいていますが、どんなに長くても15分以上待ったことがありません。たいていは5分程度で用事が済みます。お役所は小さいところのほうがいいと、経験的にそう思います。